契約ブランド
ローワー・メリオン高校卒業後、1996年にNBA入りしたコービー・ブライアントが契約したシューズブランドはアディダスだった。2年目に初シグネチャーシューズをリリースし、その後も毎シーズン新モデルを発表する。2002年の夏、6年続いたアディダスとの契約を解消。
2002-03シーズンのスニカー・フリーエージェント期間を経て、2003年の夏にナイキと5年4000万ドル(約46億円)の契約を交わした。以降、コービーのシグネチャーは引退後の現在に至るまで新モデルが発表されている。
コービー・ブライアントのバッシュ一覧
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Adidas EQT Elevation|1996-97
コービーがルーキーイヤーの1996-97シーズンに着用したバッシュはAdidas EQT Elevation。弱冠18歳で優勝を飾った1997年のスラムダンクコンテストでも着用した。
Adidas KB8|1997-98
コービー・ブライアントの初シグネチャーAdidas KB8はNBA2年目の1998年に登場。同シーズン、コービーはシックスマンとして活躍し、初めて出場したオールスターで憧れのマイケル・ジョーダンとマッチアップした。
Adidas KB8 II|1998-99
コービー・ブライアントの2作目のシグネチャーAdidas KB8 IIはNBA3年目の1998-99シーズンに登場。ストライキによる短縮シーズンとなった同シーズン、コービーはスターターに定着し50試合全てに先発出場した。KB 8 IIは、Crazy 2として復刻されている。
Adidas KB8 III|1999-00
コービー3作目のシグネチャーKB8 IIIは、波打つようなデザインのアッパーにアディダスの3本線が配置された一足。1999-2000シーズンのコービーは、シャキール・オニールとの強力デュオでNBAを席巻し初優勝を飾った。
Adidas The KOBE|2000-01
2000年にリリースされたコービーのシグネチャー4作目Adidas The KOBEは、ドイツの自動車メーカーAudiとコラボしたバッシュ。AudiのスポーツクーペAudi TT Roadsterのような丸みを帯びたデザインが大きな話題となった。2000-01シーズンのコービーはシーズン平均28.5得点をマーク。レイカーズの2連覇に貢献した。
Adidas The KOBE TWO|2001-02
コービー5作目のシグネチャーAdidas The KOBE TWOは前作以上に自動車ルックな一足。もはや自動車そのものと言ってよいほどの挑戦的なデザインが世間で広く受け入れられることはなかった。コービー自身も満足しておらず、結果的にKOBE 2がアディダスでリリースされた最後のシグネチャーシューズとなる。なお、2001-02シーズンのレイカーズは、シカゴ・ブルズ以来となる3ピートを達成した。
Reebok Question(フリーエージェント期間)|2002-03
アディダスとの契約を解消したコービー・ブライアントは、2002-03シーズンにどのスニーカーブランドとも契約していない「スニーカー・フリーエージェント」の状態となる。NBAを代表するスーパースターに訪れた空白の期間において、コービーはAND1やReebokなど、さまざまなブランドのバッシュを着用してプレイした。写真は、同時代のライバル、アレン・アイバーソンの初代シグネチャーシューズ「Reebok Question」のKobe PE。
Nike Zoom Air Huarache 2K4|2003-04
2003年夏、コービーはナイキと契約。法的な問題により新たなシグネチャーラインを発表するまでに時間を空ける必要があったため、2003-04シーズンはNike Zoom Air Huarache 2K4を着用してプレイした。
Nike Air Zoom Huarache 2K5|2004-05
2004-05シーズン、コービーはNike Air Zoom Huarache 2K5を着用してプレイ。同シーズン、シャックとの関係悪化によりリーグ最強コンビを解消したレイカーズはプレイオフに進めなかった。シーズン成績は34勝48敗でコービーはキャリアで初めて負け越しを経験している。
Nike Zoom Kobe 1|2005-06
2005年、ナイキにおけるコービー初のシグネチャーモデルNike Zoom Kobe 1が登場。2005-06シーズンのコービーは平均35.4得点というハイアベレージをマークし初の得点王に輝く。2006年1月26日のトロント・ラプターズ戦では、かつてウィルト・チェンバレンがマークした1試合100得点に次ぐNBA史上2番目となる81得点を挙げ、伝説を作った。
Nike Zoom Kobe 2|2006-07
ナイキにおける2作目のシグネチャーNike Zoom Kobe 2は2006-07シーズンに着用。同シーズン、コービーは平均31.6得点で2シーズン連続の得点王に輝いたものの、レイカーズの成績は42勝40敗と振るわず、プレイオフでは1回戦でフェニックス・サンズ相手に1勝4敗で敗れた。
Nike Zoom Kobe 3|2007-08
Nike Zoom Kobe 3はワッフルを連想させる網目状のアッパーデザインが目を引く一足。2007-08シーズン、コービーはレイカーズの絶対的エースとしてレイカーズを牽引。初のシーズンMVPを受賞するなど活躍したが、NBAファイナルではケビン・ガーネット、ポール・ピアース、レイ・アレンのBIG3を揃えたボストン・セルティックスに敗れ優勝はならなかった。
Nike Zoom Kobe 4|2008-09
2009年にリリースされたNike Zoom Kobe 4は、当時一般的でなかったローカットのバスケットボールシューズということで大きなインパクトを与えた一足。ローカット形状のデザインは、サッカーのスパイクから着想を得たコービーがナイキに提案したと言われる。Kobe 4を履いてプレイした2008-09シーズン、コービーはシャックが抜けて以降初めてとなるチャンピオンリングを獲得した。
Nike Zoom Kobe 5|2009-10
Nike Zoom Kobe 5はKobe 4と同じくローカットデザインのバスケットボールシューズとして2010年にリリース。前作以上の軽量化を実現している。2009-10シーズンのレイカーズは3年連続でNBAファイナルに進出。2年前に敗れたボストン・セルティックスに雪辱を果たし、連覇を達成。コービーは通算5度目の優勝を飾った(キャリア最後の優勝)。
Nike Zoom Kobe 6|2010-11
Nike Kobe 6はコービーの愛称であるブラックマンバにちなんだヘビの鱗を模したデザインが特徴の一足。
Nike Zoom Kobe 7|2011-12
Nike Zoom Kobe 7は2011-12シーズンに着用した一足。コービーのpredator(捕食者)としてのイメージを表したデザインとなっている。
Nike Kobe 8|2012-13
Nike Kobe 8は2012-13シーズンに着用。この時点までにリリースされたコービーシリーズの中で最軽量のモデルとなっている。コービーは2013年4月12日のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦で左アキレス腱を断裂。アキレス腱が切れた状態でフリースローラインに立ち2本ともに沈め、脚を引きずりながらベンチへと引き上げた。以後、キャリア晩年のコービーは度重なる怪我とそれに伴う長いリハビリとの戦いの日々を送ることとなる。
Nike Kobe 9|2013-14
Nike Kobe 9は2013-14シーズンに着用。ローカットが続いていたシグネチャーラインから一変し、超ハイカットな形状の一足となっている。コービーは2014年12月8日のトロント・ラプターズ戦で前年の怪我から復帰したものの、同17日のメンフィス・グリズリーズ戦で右膝を負傷し残りの試合を全休。同シーズンはキャリア最小となる6試合のみの出場となった。
Nike Kobe 10|2014-15
ナイキがリリースしたコービーのシグネチャーモデル10作目となるNike Kobe 10は2014-15シーズンに着用。前作のハイカットからローカットへと形状を戻している。前年の怪我から復帰したコービーは12月14日にマイケル・ジョーダンの得点記録を塗り替えたが、1月のニューオーリンズ・ペリカンズ戦で右肩を負傷し残りのシーズンを全休。同シーズンは35試合の出場に留まった。
Nike Kobe 11|2015-16
Nike Kobe 11は現役最後となった2015-16シーズンに着用したバッシュ。度重なる怪我による苦しいコンディションの中、コービーはキャリアワーストのFG成功率を記録するなどシーズン開幕当初から苦戦。そんな中、現役ラストゲームとなったユタ・ジャズ戦で全盛期を彷彿させる得点力とクラッチタイムにおける勝負強さを発揮し60得点をマーク。チームを勝利に導き、伝説を残してコートを去った。
Nike Kobe A.D. / 12|2016
Nike Kobe A.D.は、コービー引退後に初めてリリースされたシグネチャーモデル。以後、コービーシリーズは毎年新しいモデルが発表されている。